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林 美喜子さん

[1934 第11回全日本女子庭球選手権決勝]

林 美喜子さん

神奈川県・葉山の自宅を訪ねると、居間のテーブルには当時のアルバムと新聞のスクラップが用意されていた。「右端がマーちゃん(福田雅之助さん)、前列左がヤマヒサ(山岸久子さん)……」と、70年近く前の写真を指して、次々と説明していく。当時の写真と、戦前のテニス秘話に魅了され、気がつくと4時間半が過ぎていた。

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今でもはっきり覚えている。2-6、9-7、5-0。次のポイントを取れば優勝が決まる。リードしていたが、楽ではなかった。マッチポイント。球足の遅いアンツーカーのコートで、ラリーの応酬が続いた。と、相手のボールが左側のサイドラインを割った。うれしいというより、ホッとした。


1934年(昭和9年)9月17日、甲子園コートで行われた第11回全日本女子庭球選手権の決勝。岡田(現姓井上)早苗さんを破って2連覇を達成した。岡田さんとは東京高師(現筑波大)附属小、東京府立第二高女(竹早高校)の同級生。前年の第10回大会でも顔を合わせ、林さんが6-4、6-2で勝ち、初優勝を遂げている。


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「子供の時からお転婆娘だった」という林さんは府立第二高女4年の時、軟式から硬式に転向した。学校帰りに岡田さんや2歳下の新納(現姓朝長)慶子さんと東京・小石川の伝通院にあった三井財閥の三井高修邸のコートに通うようになっ た。そこでは、スラセンジャーなど、高価な輸入ボールを自由に使わせてもらえた。何よりも3時の紅茶とケーキが楽しみだったという。


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得意なショットはバックハンドのストレート。パワーヒッターで俊足でもあった。 林さんが持っていた新聞のスクラップの中に「癖を拾ふ」という横山隆一さん(「フクちゃん」の作者)の漫画がある。<女流庭球界ナムバーワンの林嬢の癖をさがしませう。(中略)球を追つて走る時は娘さんらしく肩をゆり動かして内股に走る>と、スズランの花とともに描いてある。当時のテニス選手は今でいう「アイドル」のような存在。ブロマイドも売られ、写真入りで新聞にもずいぶん大きく報じられていた。

全日本で二連覇を果たし、無敵を誇っていた林さんのもとに、ある日、庭球協会の役員3人が訪れた。「海外に行かないか」という誘いだった。ウィンブルドンに日本第一号の女子選手として送りたいというのだった。だが、断った。テニス選手を続けるのは苦しいと感じ始めていたからだ。そろそろ結婚を、とも考えていた。1935年、結婚を機に23歳で引退。夫の満鉄大連中央研究所赴任にともない、すぐに大連に渡った。


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絶頂期にラケットを置いたが、1955年から10年間、当時住んでいた埼玉県の代表として都市対抗や国体の選手として活躍した。1967年の埼玉国体では選手宣誓も行っている。テニスの魅力を尋ねると「歳をとってもできること」と即座に返ってきた。背筋がピンと伸び、テンポ良く話す。「凛とした」という表現がぴったりだと思った。


【取材日2003年3月9日】ご自宅にて
本文と掲載写真は必ずしも関係あるものではありません
林 美喜子さん

プロフィール

林(旧姓 神谷) 美喜子(はやし(かみや)・みきこ)

  • 東京都出身。
  • 明治大学商科女子部卒。

主な戦績

  • 1931年の全日本に初出場で準優勝。33年は単複制覇。34年に単二連覇。
  • 当時は全日本を始めほとんどのタイトルを総なめにしていた。

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