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ミュージアム:日本のテニスはじめて物語

はじめてのミセスプレーヤー

7 朝吹磯子
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第1回全日本女子庭球選手権大会のシングルス、ベスト4の1人、朝吹磯子はその時、34歳だった。出場者19人のうち、結婚しているのは磯子ひとり、息子4人と娘1人、5人の母親でもあった。夫は日本庭球協会初代会長の朝吹常吉、娘はのちにフランス文学者となる朝吹登水子だ。ラケットを握り始めたのは、関東大震災のあった1923年のことだった。9月1日の大震災のため、東京にもどらず軽井沢に留まった磯子にテニスを勧めてコーチしたのはデ杯選手の原田武一。テニスに燃えた磯子はのちに子供2人を連れて、アメリカへテニス修行に。外国人のコーチに手ほどきを受けた最初の女性だ。

はじめての女子海外遠征

8 藤本八重子
戸田定代
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フィリピンのマニラで行われる第7回極東オリンピック(1925年)の選手として、関西の藤本八重子と戸田定代が選ばれた。船旅の途中に寄った上海、香港で、三井物産など日本企業のローンコートでしっかり練習することができた。ところがマニラに着いてみると、コートはフィリピン特有の貝殻をくだいて土に混ぜた白いシェルコート。強烈な陽射しに加えて、貝の破片がキラキラと光る。目をあけているのもつらい体験だったが、結果は男子、女子とも優勝。行きは着物、袴姿の2人だったが、帰りの上海で調えた、ワンピース、帽子、ハイヒール姿となり、日本で出迎えた人々を驚かせた。

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