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ミュージアム:日本のテニスはじめて物語

はじめての全米シングルス3位

9 原田武一
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岡山県倉敷市酒津の素封家の長男として育ち、慶応義塾進学後、庭球部のエースとして名を馳せた。1923年、第2回全日本選手権大会男子シングルスで優勝。デ杯選手。その後、アメリカのハーバード大学に留学。世界ナンバー1のチルデン、リチャーズら強豪と互角に渡り合い、1926年には全米3位、世界7位のランキングを獲得した。日活から映画スターへの勧誘があったほどの容貌、豪放磊落、天衣無縫の気質で、女性ファンが多かった。晩年は型にはまったテニスではなく、自由で個性を生かした「ノーフォーム ノーグリップ」のテニススタイルを提唱した。

はじめてのウィンブルドンダブルス決勝

10 佐藤次郎
布井良助
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1933年ウィンブルドン大会。前年につづきシングルス準決勝に進出した佐藤次郎は、布井良助と組んだダブルスでも快進撃。準々決勝で第3シード英国のペリー/ヒューズ組、準決勝でドイツのデ杯代表クラム/ヌルネー組を破り、男子ダブルスでははじめて決勝に進出する。決勝の相手は、フランスのダブルス巧者ボロトラとブルニヨン。第1セット、日本チームはネットに出て3-1とリード、さらに虚をつくクロスのドライブでセットを取った。しかし第2、第3セットを失い、第4セット、最後はボロトラのスマッシュに屈した。敗れたとはいえ、佐藤/布井組の健闘は、日本のダブルスが世界一流のレベルに達したことを証明したといえる。

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