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ミュージアム:佐藤次郎、世界ランク3位へ飛躍

写真が語る日本テニス史 【昭和6(1931)年】~

4 佐藤次郎、
世界ランク3位へ飛躍
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佐藤、デ杯選手としてヨーロッパへ
【昭和6(1931)年】

1932年の全英で果敢に攻める佐藤次郎
1932年の全英で果敢に攻める佐藤次郎
全日本学生庭球連盟が設立された1931年には、佐藤俵太郎、佐藤次郎、川地実がデ杯メンバーに選ばれています。前年から欧州ゾーンに参加していた日本チームは準決勝でH.オースチン、F.ペリーを擁する英国チームに敗れましたが、佐藤次郎は、ロランギャロの全仏で準決勝、ウィンブルドンの全英で準々決勝に進むなど、各地のトーナメントで実績をあげています。さらにその後、インド、オーストラリアに回り、芝生コートでの経験を積みました。

2年連続でウィンブルドン準決勝進出
世界ランク3位に入る
【昭和8(1933)年】

1933年デ杯チーム。左から伊藤、布井、佐藤、三木
1933年デ杯チーム。左から伊藤、布井、佐藤、三木
見事なコンビネーションで1933年全英決勝に進んだ佐藤・布井組
見事なコンビネーションで1933年全英決勝に進んだ佐藤・布井組
在英の三木龍喜、オーストラリアから戻った佐藤次郎、そして日本から桑原孝夫を加えた1932年デ杯チームは欧州ゾーン準決勝でイタリアに敗退したものの、2度目のウィンブルドンで佐藤は前年の優勝者S.ウッド(米)を強打で圧倒して準決勝に進出、帰国の途次に寄った米国では世界№1のE.バインズに連勝しています。
翌1933年、布井良助、伊藤英吉、そして佐藤はヨーロッパで三木と合流してデ杯に臨みましたが、佐藤は本来の力を発揮することができないままオーストラリアに屈しました。しかし佐藤は、全仏につづき全英でも大活躍します。シングルスでは前年につづき準決勝進出、布井と組んだダブルスでは決勝に進出して、この年9月に発表されたW.マイヤーズによる世界ランクでは3位に推されました。

三木は全英混合ダブルスで優勝
【昭和9(1934)年】

培った信頼と頭脳的なプレーで1934年全英混合ダブルスで優勝したドロシー・ラウンドと三木
培った信頼と頭脳的なプレーで1934年全英混合ダブルスで優勝したドロシー・ラウンドと三木
連戦の疲れか、体調のすぐれないまま4度目のデ杯に出発した佐藤次郎は船上に遺書を残してマラッカ海峡に身を投じました。
思わぬ事態に心の打撃を受けながらも、西村秀雄、藤倉二郎、山岸二郎は欧州のトーナメントに参加し、デ杯2回戦ではオーストラリアに善戦しました。 また、キャプテンの三木龍喜がD.ラウンドと組んで全英混合ダブルスで優勝したことは明るいニュースでした。

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