■車いすテニス男子シングルス決勝で、第1シードの小田凱人は第4シードのグスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)を最終セットの10ポイントタイブレークで振り切り、全米初優勝を飾った。王手をかけていた生涯ゴールデンスラム(四大大会、パラリンピック全制覇)を達成した。車いすテニスでは国枝慎吾、ディーデ・デフロート(オランダ)に次いで3人目(クアードクラスのディラン・アルコット=豪州を含めれば4人目)、小田の19歳3カ月は最年少での達成となった。
[車いすテニス男子シングルス決勝]
○小田凱人 6-2,3-6,7-6(13-11) ●グスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)
■初優勝への道は険しかった。フェルナンデスには11勝2敗だが、「(準決勝で)アルフィー(・ヒューエット=英国)に勝っているので、いつもより強い」と警戒した。その予想以上に、圧力を感じながらのプレーだったと思われる。第1セットは先にブレークを許したが、6ゲームを連取した。第2セットは逆に5ゲームを連取されて落とした。最終セットは5-4からのサービスゲームを取れず、勝敗は10ポイント先取のタイブレークに委ねられた。
■追い上げてきたフェルナンデスがその勢いを保ち、小田は6-9と追い込まれた。サーブはフェルナンデス。「少しプレッシャーを感じていた」という小田だが、ダウン・ザ・ラインへの攻撃的なショットを2本連続で決める。「このポイントを失ったら、とは考えなかった。どのポイントでも同じ心境で、ウィナーを奪い、コーナーを狙うだけだった。ウィナーを2本決めた瞬間は最高だった」と小田。まだ8-9と劣勢だったが、この2本がターニングポイントになった。
■両者に硬さが見られたが、緊張を乗り越えたのは小田だった。計4度あった相手のマッチポイントを耐えきった。最後も小田のウィナー、フォアハンドのダウン・ザ・ラインで決着した。6-9の最初のマッチポイント以降、フェルナンデスのウィナーは0。苦しい場面で3本のウィナーを決めた小田の勝利は必然だった。
■一瞬、呆然とした表情を浮かべた小田は、すぐに顔を伏せた。優勝スピーチをまず英語で行い、日本語に切り替えて「チームのみなさん、ありがとう」と言ったところで感極まって言葉が出なくなった。声を上ずらせながら「パラリンピックが終わってちょうど1年。あの試合(ヒューエットとの決勝)を超えられた」と歓喜を噛みしめた。
■発言は常に前向きで有言実行がモットーだが、大会前にはプレッシャーがあったことをスピーチで明かした。試合でも、これまでにない緊張を感じていた。タイブレークに入る時は「パラリンピックと同じで、ウワッていうのが内側から来る感じがあった」が、相手のマッチポイントでは、そうはいかなかった。「いつもは(緊張感を)楽しめるが、今回は、やばいんじゃね、って」。その状態での攻撃的なプレーの連続には恐れ入る。
■最年少で生涯ゴールデンスラム達成の小田が、次の夢を明かした。この決勝は1700人収容と、この会場では中規模の11番コートで行われた。車いすテニスの注目度を高め、また、世界中に自分のファンを増やし、いつか2万3859人収容のアーサー・アッシュスタジアムで試合がしたい、というのだ。「そこでプレーできれば、みんなに試合を楽しんでもらえる自信はある。ファンに僕たちのスポーツを見てもらいたい。自分自身のためにも、このスポーツのためにも、やりたいことがたくさんある」。19歳にして、自分がこの競技を率いると覚悟を決めている。
(日本テニス協会)
本記事は、日本テニス協会メールマガジン「Tennis Fan」の抜粋です。「Tennis Fan」の購読ご登録はこちらから!
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