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朝長 慶子さん

[1951 全日本のダブルス決勝]

朝長 慶子さん

背筋がピンと伸びた164cmのすらっとした体型は、当時の写真そのままだった。03年2月20日、東京・代々木の自宅を訪ねると、モノクロ写真の入った箱を取り出してくださった。「こちらが三井高修さん、こちらは清水善造さん……」。玉手箱のように次々と写真が出てくる。ロングスカートをはき、華麗にプレーしている朝長さんの姿もあった。ハスキーな声で70余年前の女学生時代について語る姿はとても楽しそうだった。03年11月には米寿(88歳)を迎えるとのことだったが、その4カ月前の7月31日、急性心筋梗塞でご他界された。

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朝長さんの選手生活は24年にも及んだ。全日本選手権に初出場したのが1931年。シングルスは準優勝3回、ダブルスは加茂(徳島)幸子さんと組んで2連覇、宮城黎子さんと組んで5連覇を達成している。

最も思い出に残るのは、1951年に全日本選手権のダブルス決勝で加茂姉妹に勝った試合だという。加茂姉妹の姉の(中牟田)純子さんは1939年に16歳で全日本を制し、妹の幸子さんは1946年から6連覇している。姉妹でのダブルスは1940年と50年に全日本選手権優勝。


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当時、加茂姉妹は絶対的な強さを誇っていた。だからこそ、「『加茂姉妹をやっつけよう』と(宮城)黎子ちゃんと頑張った」という。


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朝長さんはダブルスが得意で特にネットプレーが好きだった。「パートナーの黎子ちゃんはオールラウンドプレーヤーでしたが、グラウンドストロークがしっかりしているので、後ろでチャンスを作ってもらい、私が浮いた球を決める役でした」。

加茂姉妹との決勝もその必勝パターンで優勝を決めた。姉妹に勝つことを目標にしていたので、本当にうれしかったという。


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1935年に結婚し、2人の息子さんを育てながら試合に出ていたので、ミセスになってからのキャリアの方がずっと長い。「お嫁に行く時に『絶対にテニスをやめたらダメよ』と母から言われたの。何か一つ挑戦するものを持っていないといけないってね」。夫正軌氏の理解もあって、毎年3大会、全日本選手権と関東選手権、毎日選手権に出場した。テニスを続けていると、常に目標を持って努力ができる。そこが魅力的だったという。


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初めてラケットを握ったのは小学校4年生の時。最初は軟式だった。生まれは新潟市だが、育ったのは下落合。近所のお宅にテニスコートがあり、テニスに親しんだ。東京府立第二高女(現竹早高校)2年生で硬式に転向。2年先輩の林(現姓神谷)美喜子さん、岡田(現姓井上)早苗さんとともに、東京・小石川の伝通院にあった三井財閥の三井高修邸のコートに通った。

そこには元デ杯選手の福田雅之助、鳥羽貞三、安部民雄ら各氏も顔を見せることがあった。「マーちゃん(福田氏)のストロークは流れるようにスムーズで、タミちゃん(安部氏)のテニスは動いても身体が全然ぶれない。


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最初は軟式打ちだった私も、目が肥えて自然に似たような打ち方になりました」。一流選手の手ほどきを受けることもあった。「タミちゃんに『背中が丸まっていてはダメだ。ひざを曲げればうまくいく』と教えられ、なるほどなと思いました」。


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戦前戦後と活躍した朝長さん。戦争が激しくなってからは山梨県に疎開し、ラケットを持つことは難しくなったが、疎開前はこっそりプレーすることもあったという。


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お相手は日本テニス協会の初代会長、朝吹常吉氏の妻で、第1回全日本でシングルス4強の磯子さん。東京・高輪にあった朝吹家のコートでプレーしたが、世の中はテニスどころではない。目立たないよう風呂敷に包んでラケットを持って行ったという。


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戦争が終わると、すぐにテニスを始め、子育てをしながらプレーを続けた。40歳を迎える1955年、全日本のダブルスで7回目の優勝を果たしたのを最後に引退したが、10年程前までは楽しみでテニスをしていたという。「テニスって奥が深いでしょう。うまくなればなるほど新たに高いレベルのものが見えてくる。そこが面白いと思うの。勝てば強烈な喜びを味わえるし、常に挑戦し続けられるところがいいわよね」と語っていた。


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99年に夫を亡くされてからは、1年のほとんどを山中湖の別荘で過ごしていたという。03年7月、急に体調を崩して永眠されたが、心からご冥福をお祈りしたい。


【取材日2003年2月20日】東京・代々木のご自宅にて
本文と掲載写真は必ずしも関係あるものではありません
朝長 慶子さん

プロフィール

朝長(旧姓 新納) 慶子 (ともなが(にいろ)・けいこ)

  • 1915年11月11日、新潟市生まれ。

主な戦績

  • 1949、50、52年 全日本単準優勝。
  • 1948、49、51~55同複優勝。

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