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ミュージアム:日本のテニスはじめて物語

はじめての全日本シングルス優勝

3 福田雅之助
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1922年、第1回全日本選手権大会シングルスに優勝。早稲田大学庭球部で活躍後、デ杯選手となる。1995年、ウィンブルドンのシングルス、ベスト8になった松岡修造がコート上で、自らを鼓舞するため「この一球は絶対無二の一球なり」と叫んだ。この一節は、福田雅之助が尊敬する恩師、会津八一に相談し、創作したテニスの心得「規」の最初の一行だ。アメリカ滞在中、チルデンら世界トッププレーヤーがイースタングリップだったため、自らグリップをイースタンに換え、日本への導入を勧めた。帰国後、田村富美子と結婚。毎日新聞テニス記事の執筆、あるいは数々のテニス書の著者として活躍した。

はじめての女子参加国際試合

4 田村富美子
梶川久子
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お茶の水高女の軟式テニスのペア田村富美子と梶川久子に、大阪で開催される極東オリンピック(中国、フィリピン、日本の3国間)に出ませんか、と日本庭球協会から話があったのは1923年の3月のことだった。5月の大会にむけて、熊谷一彌などデ杯選手による特訓開始。結果は上々、優勝となり、2人は一躍アイドルとなった。ブロマイドが売られ、当時の世界ナンバー1、スザンヌ・ランラン(仏)の写真を参考にして、2人でデザインしたテニスウエアは、三越で「田村・梶川式ユニフォーム」として売り出されることになった。(シングルスには、金田咲子、戸田定代が出場)

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