1922年9月、第1回全日本庭球選手権シングルスで優勝した福田雅之助は、朝香宮から拝受したニューヨークカップを所属するポプラ倶楽部で披露したあと、美しい大カップを自宅に持ち帰って母親を驚かせました。
ニューヨークカップを手にする歴代優勝者【1922年 福田雅之助】
つづく第2回以降は、1923年原田武一、1924-25年俵積雄、1926年太田芳郎、1927年安部民雄、1928年牧野元、1929年原田武一、1930年佐藤次郎、1931年桑原孝夫、1932年布井良助、1933年西村秀雄、1934-36年山岸二郎、1937年Gottfried von Cramm、1938年山岸二郎、1939年Franjo Puncec、1940年小寺治雄と続きます。それぞれの時代に、それぞれの物語がありました。
ニューヨークカップを手にする歴代優勝者【1923年 原田武一】
ニューヨークカップを手にする歴代優勝者【1930年 佐藤次郎】
ニューヨークカップを手にする歴代優勝者【1932年 布井良助】
ニューヨークカップを手にする歴代優勝者【1935年か36年 山岸二郎(複でも優勝し、パートナーの村上麗蔵が攝政宮杯を手にしている)】
その間、1934(昭和9)年10月には、ローンテニス社主催による「テニス展覧会」が東京と大阪で開かれています。ローンテニス誌に掲載された記事によれば、会場にはニューヨークカップ、攝政宮杯など数々のカップ類、ラケット、写真、テニス書などが展示され、テニス医学の図解、用品用具・コートに関する研究などの発表、テニス映画の映写もあって、大好評だったとのことです。
1934(昭和9)年10月、ローンテニス社主催「テニス展覧会」で飾られたニューヨークカップと攝政宮杯など。会場は、東京神田と大阪淀屋橋の美津濃運動具店(現、ミズノ株式会社)