はじめての全日本8連覇
父の喜三郎に連れられて、自宅近くに新設された田園テニスクラブに初めて行ったのは12歳の時だった。父の使った古いラケットと会員が置いていった使用ずみの球での壁打ち、楽しくて仕方がなかった。それが宮城黎子の原点となった。全日本シングルスでは、1956年からの8連覇を含む10勝という前人未到の記録を持つ。次に目指すのは全米やウィンブルドン、しかし、日本の外貨事情は好転せず、夢はかなわなかった。引退後は日本初のテニスショップやテニススクールの開設、テニス雑誌の編集、グランドスラム募金やテニスミュージアム委員会の設立など、常に愛するテニスと共にあった。
はじめてのウィンブルドンダブルス優勝
1975年、ウィンブルドン・ダブルスで、沢松和子とアン・清村ペアが優勝した時は、日本中に喜びの波が広がった。17歳の時、姉の順子と共にウィンブルドンを含むヨーロッパ遠征派遣メンバーに選ばれている。加茂幸子以来途絶えていた女子の海外遠征の再開となった。ジュニアとしては18歳で、全仏とウィンブルドン・シングルスに優勝している。一般女子でのウィンブルドン・ダブルス優勝は、初出場から8年目の快挙となった。全日本の記録としては16歳でシングルスに初優勝、そして4連覇を含む5勝。フェデレーション大会では44勝10敗の記録を持つ。