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ミュージアム:日本のテニスはじめて物語

はじめての女子サーブ&ボレー

5 安宅登美子
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かつての安宅産業の創設者、安宅弥吉の長男、兄の英一と共に極東オリンピックの田村・梶川ペアを観たことで、1923年、安宅登美子のテニスライフは始まった。「妹をテニス選手にしたい」という兄の強力な要望に、14歳の登美子は従う他なかった。自宅にコートが造られ、コーチはデ杯選手の鳥羽貞三、三木龍喜、原田武一の面々。果敢にネットを取りにいくプレーが評判を呼び、登美子の試合には観客が大勢つめかけた。東大で行われた試合、座席が取れなかったため木に登って観ていた作家の高見順が、登美子のプレーに拍手をした瞬間、木から転げ落ちたことが語り草となっている。

はじめての全日本女子優勝

6 黒井悌子
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シングルスの決勝戦は、黒井悌子対鴨井一枝だった。東京ローンテニスクラブで開催された第1回全日本女子庭球選手権大会は、1924年6月3日、最終日を迎えていた。黒井は東京の学習院、鴨井は奈良の天理高女ということで、東西対抗の感があり、接戦が予測されていた。しかし、ダブルスの決勝にも出場した鴨井に疲れが出たのか、得意のハードヒットにかげりが見え始めた。一方、黒井は出場者のほとんどが当時にあっては苦手としたバックハンドに冴えを見せ、6-1、6-2のスコアで、カップを手にすることとなった。次年の第2回全日本にも安宅登美子を破って優勝している。

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