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1佐藤次郎アルバム 幼少期~1932年

佐藤次郎の歩んだ道

1 佐藤次郎アルバム
幼少期~1932年
1.2. →

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明治41年
(1908)
1月5日、群馬県群馬郡長尾村夏保(現、渋川市横堀)に生まれる。父・市郎兵衞、母・よし、次男。2歳上に長男・太郎。長尾小学校3年生の頃、板のラケットで軟式テニスを始める。
生家(現、渋川市横堀) 左より、姉みね、兄太郎、次郎(13才)、姉あき子
生家(現、渋川市横堀)
左より、姉みね、兄太郎、次郎(13才)、姉あき子
大正15年
(1926)
【18歳】 3月、県立渋川中学(現、渋川高校)4年卒業。4月、早稲田大学第一高等学院文科に入学して、硬式テニスに移る。
昭和2年
(1927)
【19歳】 軽井沢トーナメントで強豪三菱の青木岩雄に肉薄し、秋には始めて抜擢された早慶戦で殊勲の1点を挙げる。大阪での全日本大会には第4シードの松浦を破って、前途を有望視された。
昭和3年
(1926)
【20歳】 8月、軽井沢トーナメントで優勝。9月、全日本大会準決勝、フォアの剛打で佐藤俵太郎にストレート勝ちしたが、決勝では牧野元に敗れる。この試合を転機としてバックの打ち方を変えた。昭和3年度全日本ランキングはシングルス、ダブルス(w/川地実)、共に第5位。
[この年、昭和恐慌始まる。上野-浅草間に初の地下鉄開業]
1928年、軽井沢トーナメントで優勝
1928年、軽井沢トーナメントで優勝
昭和4年
(1929)
【21歳】 4月、早稲田大学第一高等学院文科を卒業、大学部政治経済学部に入学。 宝塚トーナメントで強豪を破って優勝。さらに全日本インターカレッジでは宿望の山岸成一/志村彦七組を倒してタイトル(w/川地)を得た。また神宮大会の単複に優勝。昭和4年度全日本ランキングは、シングルス3位、ダブルスは3位(w/川地)と8位(w/辻)。
昭和5年
(1930)
【22歳】 布井良助と共にフィリピン、ハワイに遠征し好成績を収めた。11月、遂に全日本選手権シングルス優勝。昭和5年度全日本ランキングはシングルス1位、ダブルス2位(w/川地)
  [この年、ロンドン海軍軍縮条約調印。国産の電気冷蔵庫、洗濯機登場]
1930年、フィリピンに遠征 右はデビスカップ寄贈者・デビス総督
1930年、フィリピンに遠征
右はデビスカップ寄贈者・デビス総督
昭和6年
(1931)
【23歳】 昭和6年度佐藤俵太郎、川地実とともにデ杯選手に推薦され、3月-6月、ヨーロッパ各地を転戦。
5月、デ杯戦の合間に全仏選手権(現、フレンチオープン)に出場してシングルス5回戦でバンライン(米)を破るも、準決勝でボロトラ(仏)に敗れてベスト4となる。ダブルス(w/川地)では3回戦に進む。 デ杯戦欧州ゾーンではユーゴスラビア、エジプトを下したが、準決勝でペリー擁する英国に敗れた。

6月、初参加の全英選手権大会(ウィンブルドン)ではシングルス5回戦でボロトラに、ダブルス(w/川地)4回戦でコシェ/ブルニヨン(仏)に惜敗したが、単複共にベスト8となった。

また英国各地を巡遊し12連続のトーナメント優勝記録を作る。1931年度のワーレス・マイヤー発表世界ランキングには第9位に入った。 11月、三木龍喜とともに英国を出発、12月にインドでエキジビションを行ったあと、日豪親善試合のため単身オーストラリアに向かった。
  [この年、満州事変始まる。羽田に国際飛行場開設]
1931年デ杯チーム。 左より、佐藤俵太郎、3番目佐藤次郎、 5番目川地実 1931年ウィンブルドン5回戦で ボロトラに敗れる。ベスト8
1931年デ杯チーム。 左より、佐藤俵太郎、3番目佐藤次郎、 5番目川地実
1931年ウィンブルドン5回戦で ボロトラに敗れる。ベスト8
昭和7年
(1932)
【24歳】 1月-2月、原田武一、布井良助と合流して、オーストラリア各地で活躍する。豪州選手権(現、オーストラリアンオープン)では単、複、混合に出場し、シングルス準決勝でホップマン(豪)に惜敗。
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左:1932年1-2月、オーストラリアテニス協会からの招待を受け、原田武一、布井良助とともに豪州各地で親善試合。全豪選手権ではベスト4
上:オーストラリアの新聞記事と 掲載された佐藤次郎のイラスト
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左から、佐藤、ブルックス、原田、布井
左から、クロフォード、ホップマン、原田、佐藤
約1ヵ月の豪州遠征後、リビエラに直行して、三木、桑原孝夫、両デ杯選手と落ち合い、各地を転戦した。 5月下旬、全仏選手権で4回戦に進出するも、好調のベルナール(仏)に敗れる。
左:1932年3月、渡欧途中に 記された自筆の歌上:1932年デ杯チーム、ギリシャにて 左から桑原孝夫、三木龍喜、佐藤
左:1932年3月、渡欧途中に 記された自筆の歌
上:1932年デ杯チーム、ギリシャにて 左から桑原孝夫、三木龍喜、佐藤

6月下旬、全英選手権に出場し、シングルス5回戦で前年の覇者ウッド(米)を破りセンターコートの観衆を熱狂させた。オースチン(英)との準決勝では小雨に泣く。三木と組んだダブルスでは3回戦でクロフォード/ホップマン(豪)に競り勝ったが、4回戦でブッシュー/メルラン(仏)に敗れた。トーマス嬢との混合でも3回戦に進んだ。
1932年ウィンブルドン 5回戦で前年の覇者 ウッドを破る 準決勝の対戦。 オースチンvs.佐藤、クロフォードvs.バインズ
1932年ウィンブルドン 5回戦で前年の覇者 ウッドを破る
準決勝の対戦。 オースチンvs.佐藤、クロフォードvs.バインズ

7月、デ杯戦欧州ゾーンでは、ギリシャ、デンマークを破ったが、準決勝のイタリア戦シングルスで佐藤は思わぬ2敗を喫し敗れた。

8月、桑原と共に渡米。全米ナショナル選手権(現、USオープン)ではシングルス、ダブルス共に2回戦、混合でも3回戦で敗退した。

9月下旬、太平洋南西選手権では4回戦でバインズ(米)、準決勝でオースチン(英)を下して決勝に進出したが、ペリーに敗れた。
1932年、ロサンゼルスにて。世界の強豪と共に。 左から、クロフォード、ペリー、佐藤、バインズ
1932年、ロサンゼルスにて。世界の強豪と共に。 左から、クロフォード、ペリー、佐藤、バインズ

10月中旬、2年振りで帰国。 10-11月、全日本選手権大会に出場して、単複(w/川地)で決勝に進むも、シングルスでは布井に敗れて準優勝、ダブルスでは優勝。
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