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ミュージアム:日本テニス国際化の時代

日本テニス国際化の時代

3 熊谷、三神の
米国テニス行脚
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熊谷の実力が世界レベルに近づいていることは1916(大正5)年1月、二度目の参加となるマニラの東洋選手権大会で証明された。彼はシングルスでC.グリフィン(1915年米国ランキング7位)を破って優勝、三神八四郎と組んだダブルスでも準優勝した。さらに米国への帰途、日本に寄ったグリフィンと東京で再戦して勝つ。これを見た先輩有志の間で、熊谷をアメリカに派遣して修行させたらどうかという話が持ち上がり、実現することとなった。
熊谷一彌のアメリカン・ツイスト・サーブ。体全体をムチのようにしならせてボールに回転を与えている
熊谷一彌のアメリカン・ツイスト・サーブ。体全体をムチのようにしならせてボールに回転を与えている
熊谷一彌のよく振り切られたフィニッシュ
熊谷一彌のよく振り切られたフィニッシュ
背景には、テニスの活躍によって、日本人移民問題などで揺れる米国の対日感情を緩和する役割を果たしてほしいという期待もあった。

同行する三神八四郎は早稲田大学庭球部で活躍後、シカゴ大学に留学してからは日本の運動雑誌に投稿して硬球採用を呼びかけ、帰国後は硬球採用当時の慶應庭球部でコーチしたこともある頼もしい先導者だった。

熊谷の評判は米国にも届いていた。米国庭球協会機関誌でもあるアメリカン・ローンテニス誌には6月にシアトル到着後、各地大会に参加するふたりの活躍ぶりが報告されるばかりでなく、「日米スポーツ交流の道を拓きたい」という訪米の意図も紹介された。

7月からは東海岸に移動し、芝生コートにも馴れてきた熊谷はニューヨーク州選手権大会などで優勝する。そして8月、伝統あるニューポート招待大会では全米チャンピオンになっていたビル・ジョンストンを6-1、9-7、5-7、2-6、9-7で破り、満員の観衆を驚かせた。翌日のニューヨーク・タイムス紙にも、"Ichiya Kumagae"の写真入りで詳しい試合経過が載せられている。熊谷には、"Itchy" という愛称がついた。

期待以上の成果を上げて帰国した熊谷は翌1917(大正6)年に慶應義塾を卒業して三菱合資会社銀行部に就職したが、テニスから離れることはできなかった。マニラの東洋選手権の帰途に来日する米国選手の対戦相手をしたり、日本で初の国際大会開催となる極東選手権に出場して単複に優勝したりしているうちに、再び渡米の話が持ち上がる。

朝吹ら関係者が奔走して会社上層部に働きかけた結果、熊谷はニューヨーク勤務となる。熊谷の知名度が上がるとともに、三菱銀行部は"Itchy's Bank"とも呼ばれるようになった。
チルデンの著書に掲載された熊谷一彌のロー・ボレーとスピンをかけたストロークのフィニッシュ
チルデンの著書に掲載された熊谷一彌のロー・ボレーとスピンをかけたストロークのフィニッシュ

4 インドで活躍する
清水善造
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「1914(大正3)年、慶応義塾庭球部の熊谷一彌(中列右から2人目)らがマニラの東洋選手権大会に参加。初の学生テニス選手海外遠征
上州箕輪村(現、高崎市箕郷町)の農家に生まれた清水善造は、片道約10キロの高崎中学(現、高崎高校)へ徒歩通学する傍ら牛乳配達や草刈りで足と手を鍛えていた。1908(明治41)年、東京高商(現、一橋大学)に入学し庭球部員となってからは毎日欠かさず壁打ちを続けた結果、自分自身が球に同化する境地に達した。選手としてはグリップやフォームが変則ではあったが、足と手首の強さを生かして壁のように返す独自のスタイルを作り上げていく。

1912(明治45)年に卒業後は三井物産に就職、インドのカルカッタ(現、コルカタ)出張員附として赴任する。当時はイギリスの植民地だったインドの芝コートで硬球のテニスを始めた清水は、3ヶ月後、経験のために参加したベンゴール選手権大会で優勝する。優勝候補の選手が怪我のため欠場したにせよ、清水のスタイルが芝コートに向いていることの証明でもあった。

1917(大正6)年5月、清水は商用でブエノスアイレスに出かけることになる。第一次世界大戦中の航路はドイツ潜水艦の攻撃を避けるため迂回することが多く、地中海を経由し、乗り継ぎをしながら目的地に着いたのは7月初旬、ちょうどアルゼンチン選手権大会の時期だった。参加した清水は優勝候補のイギリス選手を破って単複に優勝した上、テニス・ファンでもあった取引先との商談まで成立させてしまう。

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