古い段ボールに埋もれていた
「1921年デビスカップUSLTA会計報告書」
テニスと本とパソコンが好きな主婦が、いつの間にかテニス史ハンターになってしまった。かくてあれこれ文献資料を漁っているうちに、今や日本テニス協会(JTA)テニスミュージアム委員会の一員になって、資料整理係をしている。
ところが、JTAには一括保管できる倉庫が無く、所蔵史資料は数カ所に分散して委託保管されていた。しかし、ご厚意で委託を引き受けてこられた保管先にも事情が生じる。池袋に預けられていた史資料や、藤沢に預けられていた史資料が戻されてきたのは、2011年4月のことだった。
その結果、有明コロシアム倉庫には、古いカップ類とともに史資料のつまった段ボールの山ができた。どこから手をつければよいか、今後はどのように保管するか、課題も山積。
しかし、われわれテニスミュージアム委員会のモットーは「一歩一歩」。とにかく1箱1箱の中味を確かめて整理し、段ボールの山を低くしなければならない。
何度かの移動で角がつぶれた段ボールを順々に開けていくと、埃とともに雑誌、本、そして書類らしき紙の束が出てきた。長い間探していた《テニス新聞》の合本や、WORLD TENNIS誌などのバックナンバー、大会記録集もある。
雑多な書類とともに、薄汚れた帳簿も入っていた。触ると、赤茶けた表紙の色が手に付く。革装丁らしい。そっと中を見ると、英文の会計簿だった。
表紙を見直すと、「INTERNATIONAL」とか、「DAVIS CUP」という文字、そして「IN THE YEAR 1921」と書いてあった。
つまり、それは「INTERNATIONAL "DAVIS CUP" COMMITTEE REPORT RELATING TO INTERNATIONAL "DAVIS CUP" MATCHES HELD IN UNITED STATES OF AMERICA IN THE YEAR 1921」、要するに1921(大正10)年に日本が初めて参加したデビスカップの会計報告書、そのものだった。
同じ装丁の帳簿はほかにも6冊あって、タイトルは少しずつ違うが、1923年から28年のデ杯会計報告書だった。1922年は熊谷選手が帰国したためチーム編成ができなくなり、参加を取り止めているから会計簿がなくて当然といえよう。
90年前の貴重な原史料発見!
すぐにも詳細に見たいが、これ以上の史料損傷は避けなければならない。7月下旬、まずは全7冊を専門業者による補修に出すことになった。
1921年、1923年~1928年までのデビスカップの会計報告書、全7冊が見つかった
専門業者の手でカビをふき取られ、保革手当がされた会計報告書は、8月下旬に戻ってきた。すっかりきれいになり、いかにもニューヨークの会計監査法人作成らしい報告書で、品格さえ感じられる。
補修を終え、すっかりきれいになった会計報告書
さっそく1921年会計報告書(1922年1月10日現在)を手にとり、日本関係の記載を探すと、もっとも気になっていた1921年デ杯試合における入場料収入の分与金は、はっきり「20,544.97」ドルと記載されていた。
1921年デ杯での入場料収入分与金は20,544.97ドル。当時としては思いがけない大金で、発足したばかりの日本庭球協会を支える活動基金となった
ホテル代、交通費などの諸経費を差し引いた「20,158.88」ドルが日本庭球協会に送金されることになっている。この額は『日本庭球協会十年史』(1932年刊)に掲載されている鎌田芳雄「協会の成立」の文中にある「入場料の分配金として金貳萬数千弗を受領」とほぼ一致していた。同書の会計報告(大正11年8月31日現在)によれば、日本円では「42,080.04」円とのこと。
試みに1922年の銀行の初任給(大卒):50円(参考:週刊朝日編『値段史年表』1988年刊)と、2011年の全国銀行協会初任給(大卒):174,000円を比較すると、3,480倍になっていた。すると、当時の42,080.04円は、単純計算で3,480倍すると146,438,400円になる。
1922(大正11)年3月に正式発足したばかりの日本庭球協会にとっては思いがけない大金で、その後数年の活動基金になった。
会計報告書によって確認できた事実は、数字ばかりでない。
当時は「INTERNATIONAL "DAVIS CUP" COMMITTEE」、つまり「デビスカップ委員会」がデ杯の活動を管理していたことの証明でもある。これまで一部にあったデ杯参加年=国際庭球連盟(ITF)加盟年という誤解を解く史料でもあった。ITF資料にもあるように、デ杯初参加の3年後となる1924年に日本庭球協会が国際庭球連盟に加盟したことの傍証でもあった。
1921年の会計報告書。初参加の日本に関しても記載されている
暗い倉庫に入って資料整理をしていると、思いがけない史資料に遭遇する。テニス史ハンターの興味は尽きない。
[執筆者]日本テニス協会テニスミュージアム委員会 委員:岡田邦子
(2012/08/31記)