はじめての海外遠征、協会設立
1912年、朝吹常吉(東京ローンテニス倶楽部会員)は、山崎健之丞らとともに、フィリピンに遠征して東洋テニス選手権に参加した。これが日本初の海外遠征。その8年後、朝吹は磯子夫人とともに欧米回遊の途次、ニューヨークで米国ローンテニス協会会長らと懇談、日本も協会を結成してデ杯に参加するよう勧められる。帰国後の朝吹は東奔西走し、翌1921年に日本庭球協会(現、日本テニス協会)を仮発足させた。初参加日本チーム(熊谷一彌、清水善造、柏尾誠一郎)は大躍進し、カップ保持国アメリカに善戦する。1922年3月、正式に発足した協会の初代会長に就任した朝吹は、日本テニス発展に尽力貢献した。
はじめてのデ杯参加で準優勝
1921年、デ杯初参加の日本チーム(熊谷一彌、清水善造、柏尾誠一郎)は、インド、オーストラリアを連破して、カップ保持国・米国チームに挑戦することとなった。第1日第1試合、不調の熊谷はジョンストンに屈したが、第2試合でチルデンに対した清水は第1、第2セットを連取し、第3セットも5-4とリードする。しかし、2ポイント連取することができず、チルデンに逆転を許した。翌日のダブルスでも熊谷/清水は健闘したが、一歩及ばなかった。この年、初参加日本チームの大躍進は世界を驚かせ、日本テニス界を勇気づけた。さらにデ杯入場料収入分与金は、発足したばかりの日本庭球協会(現、日本テニス協会)を支える資金となった。