写真が語る日本テニス史 【昭和56(1981)年】~
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華やかに開幕
フェデレーションカップ東京大会
【昭和56(1981)年】
開会式
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入場する日本チーム(監督:宮城黎子、コーチ:米沢そのえ、選手:古橋富美子、野村貴洋子、柳昌子)。右下、多摩川園ラケットクラブに設けられたメイン・コート
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11月、女子の国別対抗戦、第19回フェデレーションカップが東京・多摩川園ラケットクラブで開催されました。1980年に財団法人となった日本テニス協会とともに運営を担ったのは日本女子テニス連盟です。大会には32ヵ国が参加し、常陸宮妃ご臨席のもと華やかに開会式が行われました。
最終日、決勝に残ったのはイギリスと米国チームです。C.エバート、A.イエーガー、R.カザルス、K.ジョーダンと単複に実力を発揮した米国チームが優勝しました。
有明コロシアム完成
ジャパンオープンが新時代を迎える
【昭和62(1987)年】
1987年、完成当時の有明コロシアム
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記念すべき大会に優勝したS.エドベリとK.マレーバ
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第1回ジャパンオープン選手権大会は1972年に東京郊外の田園コロシアムで行われました。オープンしたばかりの有明テニスの森公園に会場を移したのは1983年からです。1987年、有明コロシアムの完成と同時に、男子は賞金総額50万ドルを超すチャンピオンシップシリーズに昇格しました。
1991年にはコロシアムに開閉式屋根が取り付けられ、交通の便利も次第によくなりました。
テニスが正式競技として復活
第24回オリンピック・ソウル大会
【昭和63(1988)年】
ソウル大会オリンピック・テニススタジアム
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女子優勝のグラフはグランドスラムに金メダルを加えて史上初のゴールデンスラムを達成
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1924年の第8回パリ大会を最後にオリンピックの舞台を降りていたテニス競技が、第24回ソウル大会で正式競技として64年ぶりに復活しました。日本からは、土橋登志久、松岡修造、井上悦子、岡本久美子が参加しています。女子優勝のS.グラフ(FRG)は史上初のゴールデンスラム(5冠)を達成しました。
福井、全日本選手権で7度目の優勝
【昭和63(1988)年】
全日本選手権7度目の優勝を果たして天皇杯を掲げる福井烈
1年生のときから柳川高校のエースとして高校総体連覇の原動力となった福井烈は、全日本選手権でも1977-79年の3連覇から始まる記録を伸ばし、7度目の優勝を果たしました。デ杯でも活躍し、1977-87年の間にシングルスで26勝しています。