写真が語る日本テニス史 【平成4(1992)年】~
■写真をクリックすると拡大します
秋篠宮殿下
協会 名誉総裁にご就任
【平成4(1992)年】
協会70周年祝賀パーティーの前に行われたご就任式典で挨拶される秋篠宮殿下と、ともに臨席された妃殿下
4月、70周年を迎えた日本テニス協会の名誉総裁に秋篠宮文仁親王殿下が就任されました。
沢松、震災に負けず全豪8強に
【平成7(1995)年】
ベストプレーで被災者を励ました沢松奈生子
1月17日早朝、阪神・淡路地方に大地震発生。オーストラリアン・オープンに出場していた沢松奈生子の実家も倒壊しましたが現地にとどまり、かつてない集中力でベスト8入りを果たして被災者を励ましました。この地震では、日本テニス協会副会長辰馬龍雄氏、顧問上原増雄氏が自宅倒壊で亡くなられるなど、大きな被害を受けました。
松岡、伊達、全英ベスト8入り
【平成7(1995)年】
大きな壁を越えた松岡修造
7月、ウィンブルドンの大舞台で松岡修造、伊達公子が活躍しました。松岡は準々決勝でP.サンプラスに敗れましたが、日本男子のベスト8は佐藤次郎(ベスト4)以来62年ぶりの快挙です。やはり準々決勝に進んだ伊達は試合巧者のJ.ノボトナに善戦しました。
伊達が歴史を変えた!
フェド杯でドイツを破ってベスト4
ウィンブルドンでは準決勝で再対決
【平成8(1996)年】
ウィンブルドン準決勝、№1シードのS.グラフと対戦する伊達公子
|
歓びの坂井利郎監督と伊達。下段はスタンドからの祝福に応える日本チーム。左から、伊達、杉山、沢松、長塚
|
4月、フェド杯ワールドグループ1回戦。有明コロシアムにドイツ・チームを迎えた日本は、伊達公子がA.フーバー、そして世界№1のS.グラフを破り、最終戦で杉山愛・長塚京子組が決めて、史上初のベスト4に入りました。
7月、全英準決勝でも伊達はグラフと接戦。惜しくも敗れましたが、佐藤次郎の1933年来の記録と並ぶベスト4に入りました。
9月23日は
テニスの日
【平成10(1998)年】
「テニスの日」シンボルマークの「テニ-」
秋分の日をはさんで、テニス関連団体が推進し、テニス愛好者が集う第1回「テニスの日」行事が全国各地で展開されました。2004年からはシンボルマーク「テニー」も仲間入りして、テニスの輪と和をさらに広げています。
JTAの新たな一歩
盛田正明新会長の構想
【平成12(2000)年】
就任披露パーティーでジュニア代表と歓談する盛田会長
|
公式テニスサイトの入り口(2003年当時)
|
5月、新たに選任された盛田正明会長のもと日本テニス協会は財政や組織の改革、IT化促進など多角的な構想のもとに歩みを進めています。公式テニスサイトやメルマガ「テニスファン」からの情報発信も活発になりました。